2011年09月28日

11弦ギター

24日はGGサロンで金谷幸三さんの11弦ギターのリサイタルを聴いてきました。事前にこんな演奏を聴いてしまい、これは行かなくちゃと思った次第です。「11弦ギターの響きを聴いてほしい」との奏者コメントもあったので、音の印象を中心に書くことにします。

まずドビュッシー(夢、月の光)とケージ(風景の中で)は、11弦ギターのために編曲されたものだそうで、とても美しかった。特にケージの曲は、私は原曲も知らないのですが(解説によれば「ペダルを踏み続ける」曲らしい)、多弦の響きが効果的に重なり合っていました。もしここがGGサロンでなく近江楽堂のような残響の長いホールだったら、天上から音が降り注ぐようだったのではないかなどと思いながら聴いていました。

それに対してバッハのシャコンヌは、音としては物足りなかった。いわゆるリュート調弦をふつうの6弦ギターに見立てて、だから、ヘ短調で弾かれたものと思いますが、調性の適否はよく分かりません。ただ、「ここでベース音が欲しい」みたいな瞬間が何度かありました。原曲にはそんな音は無いのかもしれませんが、持続音のバイオリンの曲を減衰音のギターに移すには、やはり何か(セゴビアが6弦ギターのためにやったような、あるいはブゾーニがピアノのためにやったような)工夫が必要という気がしました。

同じバッハでも、リュート組曲第2番は「待ってました!」という感じでこの楽器にはまりますね。そして、なによりきれいだったのは、アンコールで弾かれたルネサンスの小品(花咲く命あるかぎり:アテニャン)でした。これを聴くと、奏者が広めようとした(そしてあっさりあきらめたらしい)「ルネサンス・アルト・ギター」という名前がまことにふさわしく感じられるのでした(ただし、私は可能性を縛るような命名はしないほうに賛成)。

金谷さんはここ数年のあいだに体を壊したりいろんなことがあったそうですが、すぐれた音楽家として復活されたことを確認できたのがなにより嬉しかったです。「速いパッセージは限界速度で弾くのだ」という信念も、かつてと変わりありませんでした。
posted by あ次郎 at 23:38| Comment(2) | 音楽・ギター

2011年09月26日

1万人にひとり

おかげさまで第2回黄瀬川ギターコンサートは盛況のうちに終えることができました。ご来場の皆様、ご出演の皆様、お手伝いいただいた皆様、ありがとうございました。

ご来場頂きました方は約60名(出演者を含む)で、昨年の第1回とほぼ同数でした。で、今日はこの数がどういうものか考えてみたいと思います。

私としては、バッハやソルやファリャやタンスマンやテデスコやロドリーゴなどを演奏するクラシックギターのコンサートを聴きに行こうなんて思う人はそう多くないと思うわけで、つまり、60名というのは十分に健闘した数字じゃないかと自画自賛する根拠を得たいんです(^^;;;

さて、三島市の人口は約10万、隣の沼津市が約20万です。周辺の市や町を含めて4〜50万人が、今回のコンサートの商圏(とは言わないですね・・・何て言うんだろう・・・まあいいや)人口になろうかと思います。

ということは、ざっと1万人にひとりが会場に足を運んでくれたという勘定です。東京の都心に置き換えると、23区内の人口だけで850万くらいですから、850人が来場する!!! そう考えると、すごい数字ではありませんか。1000人のホールを埋めることのできるギタリストなんてめったにいないんですから。

別な見方もしてみましょう。

「現代ギター」誌の公称発行部数は3万7千部だそうです(根拠はここ)。ということはこの雑誌を購入するような、ある程度コアなギター愛好家は、日本の人口を3万7千で割って、3300人にひとりくらいです。そうだとすると、三島・沼津圏で150人くらいの愛好家がいて、そのうち1/3しか来てくれなかった。なんだか、こっちの方が正しいような気がします。

そういわれると、確かに宣伝は足りていませんでした。

裾野市だけは「裾野ジャーナル」という、新聞に折り込まれるミニコミ誌に取り上げてもらったのですが、掲載当日に3件の問い合わせがありました。同様のことが三島・沼津でもできたらよかった。

今年初めて出演いただいた方の中にも、昨年のことは知らなかったという方が複数いらっしゃいました。今回のこともご存知でない方もいらっしゃるんでしょうね。ギター愛好家の方々に対しても情報発信が足りていません。

ということで、次回は「5000人にひとり」を目標にします。
posted by あ次郎 at 23:10| Comment(2) | 音楽・ギター

2011年09月25日

このところギター漬け

23日は自分達で主催した黄瀬川ギターコンサートでした。
24日はGGサロンで金谷幸三さんの11弦ギターのリサイタルを聴いてきました。
25日は大倉山のLECGCで黒田公子さんと益田正洋先生のコンサートを聴いてきました。

どれも面白かったです。
それぞれについておいおい感想など書いていこうと思いますが、これだけ続くと「黄瀬川」が、既に、ずいぶん前のことのように感じられます。
posted by あ次郎 at 21:25| Comment(0) | 音楽・ギター

2011年09月17日

こぼす。

最近、よく食べ物をこぼす。

箸でつまみそこねる。
口元まで運ぶ途中で落とす。
口にうまく入らない。
口に入れたものが飛び出る。

スプーンからもこぼす。
フォークからも落ちる。

最悪なのは、いつ落としたか分からないのに服やズボンに食べこぼしが付着していること。

何かおかしい。
posted by あ次郎 at 23:09| Comment(2) | 雑/全般

2011年09月10日

インク・リセッター

私は、プリンタメーカが消耗品で利益を確保しようとするビジネスモデルを否定するものではありません。ただ、まだ残量のあるインクカートリッジを廃棄させるような仕組みには疑問を感じないわけにはいきません。

ご承知の方も多いと思いますが、エプソンの(キャノンも? 他のメーカも?)プリンタのインクカートリッジにはICチップが格納されていて、しばらく使うと「インクが空」という情報セットされ、そうなるとカートリッジを交換しない限り再び印刷することはできなくなります。

問題は、「インクが空」の情報が、実はインクの残量を測った結果ではないということなんです。どうも使用回数か通電時間か、そんなものに拠っているらしい。つまり、まだインクが残っているのに使えなくなる場合が多いのです。

インクが減ってきて、印刷結果がかすれたり薄くなってきたりしたときに、ユーザは「どうせ試し刷りだからこのまま使おう」とか「大事な印刷だから新しいカートリッジに交換しよう」とか判断したいのです。その自分で決める権利を、いい加減なデータとメーカの勝手な論理によって放棄させられるのは容認しがたい。

で、世の中に「インク・リセッター」というものがあります。インクカートリッジのICチップに書き込まれた「インクが空」の情報をリセットして、「満タン」の情報に戻す装置です。

入手して試してみました。それまでインク切れの赤ランプがついたままだったプリンタが、なにごともなかったかのように印刷をしています。案の定、かすれも何もありません。これでほんとにインクがなくなるまで使えるようになりました。

プリンタメーカが余計なトリックを仕込まず最後の1ピコリットルまで使い切れるような設計をしていてくれれば、こんな無駄なことをやらずにすむのに、と思います。ま、私が使っているのはインクカートリッジも互換品メーカのものですけどね。
posted by あ次郎 at 23:28| Comment(4) | モノ

飛行機

会社の窓からはるかむこうに背の高い塔が見える。
スカイツリーではなく、羽田空港の管制塔。

その塔からずいぶん右側に、離陸したばかりの飛行機が見える。
滑走路って長いものだ。

立て続けに飛び立った2機が見えることもある。
ふたつの滑走路を同時に使っているようだ。
一機はそのまま西の方へ飛んでいく。
もう一機は上昇しながら旋回して向きを変える。

多いときは5分で3〜4機もの離陸が見える。
大変な過密ダイヤ。
たいてい赤い尾翼と青い尾翼が交互に飛ぶ。

ある日、いつまでも飛行機が見えないことがあった。
ずっと左を見たら、いた。
風向きによって離陸の方向が違うらしい。

飛行機が離陸するとき地上をずいぶん長く走らなくてはいけないのって、ダサい。
posted by あ次郎 at 15:09| Comment(0) | 雑/全般

2011年09月04日

政治は言葉でするもの

ふつう、人はものを考えるときに言葉を使います。まあ言葉といっても自分専用の意味付けをする場合もあるし、言葉以外のもので考えごとをする人もいるかと思いますので、そういうのをまとめて「記号」と呼んでもいいかもしれません。

で、自分ひとりであれこれ考えているうちはいいのですが、それを他の人に伝えたいときには、相手と共通の意味をもった記号を使わなくてはいけません。画家は絵を描くかもしれないし、理論物理学者は数式を羅列するかもしれないし、作曲家は楽譜を書くかもしれないし、プログラマはソースコードを打ち込むかもしれませんが、これらはどれも伝えたい相手にも理解できる記号であるはずです。

さて、我が国の政治家の皆さんが日頃どのような記号を使ってこの国のことを考えているかは知る由もありませんが、その考えを国民や論戦の相手に伝えなくては何も始まりません。そしてそのときに使うべき記号といったら、共通に意味付けされた言葉=日本語しかありません。つまり言葉は政治の道具であり、正しく効果的な日本語が使えることは政治家の最低条件です。

新首相は演説が得意なのだそうですが、政治家はそういうことは当然できなくてはいけない。失言を連発したり、「そういう意味で言ったのではない」なんて言い訳ばかりする政治家は、自らの商売道具を使いこなせないことをさらけ出しているわけで、鉋の使えない大工、チューニングのできないギタリストみたいなもんです。

ただし、弁舌さわやかなだけでは優れた政治家であることの十分条件とならないのは、指だけはよく動くギタリストが優れた音楽家とは限らないことと同じ。
posted by あ次郎 at 00:33| Comment(3) | 時事

2011年09月01日

史上初

こんどの総理大臣は私より若い。
これは我が国の歴史上はじめてのことだ。
posted by あ次郎 at 23:04| Comment(0) | 時事